「風吹けども動ぜず天辺の月 雪圧せども摧け難し澗底の松」−これは、反軍・粛軍演説でつとに知られる兵庫が生んだ反骨の政治家斎藤隆夫が政治信条とした禅語の一節です。議会制度130年、斎藤隆夫生誕150年にあたり、10月2日午後5時から、県連青年局・青年部の第2回オンライン研修会が行われました。
元県連青年局長の加田裕之参議院議員の協力を得て、東京の加田事務所と兵庫県連をオンラインでつなぎ、実施されたもので、東京・衆議院憲政記念館資料管理課の岩間一樹氏が「斎藤隆夫先生について」のテーマで講演、生涯にふれながら、そのめざしたところなどについて読み解きました。
研修会には、山口晋平県連青年局長(県会議員)、林健太青年部長(明石市議)ら約20人が参加、冒頭、山口青年局長が「出石(豊岡市)にある斎藤記念館静思堂を訪ねてあり様を学ぶ機会をつくりたい」とあいさつしました。
次いで、斎藤と同じ但馬を地盤とする谷公一県連会長(衆議院議員)がビデオメッセージを寄せ、昨年、没後70年を機に地元顕彰会が記念行事を行ったことを紹介、「言うべきことを真正面から言う政治家。今もその精神は生きている」と手本とすることを誓いました。
また、加田参議院議員がオンライン参加し、「兵庫県教委の副読本にも取り上げられているが、あまり知れていない。空論ではなく、地に足の着いた議論を展開した姿勢に学ぼう」と呼びかけました。
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(岩間氏の講演に耳を傾ける山口青年局長、林青年部長)
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岩間氏は、まず「議会政治が続く限り、憲政の精神は生きていかねばならない。斎藤を知ることは憲政を知ることに一歩近づく」と提起、いまなお強い影響力を称えました。
また、講義レジメには、昭和15年2月衆議院本会議で議事録を添付。柳条湖事件に端を発した支那事変(議事録による表現)の処理について、「近衛声明は新秩序の確立を謳っているが、これは、全世界に対して発したものであり、これを守らず変更するがごときものは、我が国の国際的信用は地に落ちる」と鋭く質しています。
この質疑は、各界から喝さいが寄せられましたが、翌日、斎藤は「私が死すとも、憲政史上に残ると思えば政治家として一大責任を果たしたことになる」と気骨を示した逸話が残されています。
正鵠をいる舌鋒鋭い演説内容に加えて、岩間氏は、原稿を見ずにスピーチする習慣を持ち、演説家としての抜きんでた資質が魅力的であったと指摘しました。「原稿を数日前に脱稿、庭を散歩しながら完全に暗記した」とのエピソードには、賛嘆の声が聞かれました。
このほか、特徴的な要素として、ゼネラリストの視点が例示されました。それは「専門的なことは分からなくても構わない。肝心なことは何かを知っておくこと」と喝破し、常に自答する視野を持っていたと例示されました。
全体を通じて、その政治姿勢は、現在にもそのまま投影され通じるものがほとんどで、参加者が再三にわたり瞠目するシーンが見られました。
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