県連トピックス

第4ひょうご政治大学院(自民ひょうご未来講座)
第2回講義で松島みどり元法相が実践を助言
東京下町人情に馴染んだ歩みを回顧


    

第4回ひょうご政治大学院(自民ひょうご未来塾)の第2回目講義が、4月23日午後2時から兵庫県連で行われ、受講生約60人が参加しました。
 今回、講師を務めたのは、松島みどり元法務相(衆議院議員・東京14区)。大阪出身で、北野高校、東大文学部を卒業後、朝日新聞記者を経て、自民党初の衆院候補者公募に合格、東京14区で立候補、初挑戦で惜敗の後、2度目の挑戦で初当選。地縁血縁のない東京下町で地盤を築き、当選7回に至っています。
 松島氏は、厳しい環境の中で臥薪嘗胆しながら、一歩ずつ地域に浸透していく取り組みなど回顧談を交えながら話しました。体験に基づいた実践的なアドバイスに、受講生は終始熱心に耳を傾けていました。

西村康稔県連会長 政府に国民目線の物価高騰対策申し入れ

最初に、ひょうご政治大学院学長の西村康稔県連会長(衆議院議員)があいさつに立ち、ウクライナ情勢について「無辜の人たちの命が日々失われている。一にも早い停戦を」と願いました。次いで、11日、岸田総理に党経済成長戦略本部として「原油価格・物価高騰等総合緊急対策に向けた提言」を申し入れたことを報告し、国民目線に立った丁寧できめ細かな対応が必要と語りました。そして「選挙戦における苦労話を聞き、何かをつかんで」と激励しました。
 続いて、ひょうご政治大学院副学長の安達和彦県連総務会長(神戸市会議員)は、「受講生の中から将来、地域、兵庫、日本を支える人材が出てくることを」と期待を強調しました。
 次いで、登壇した松島みどり氏は、兵庫県川西市内の中学校に通っていた当時、女性は生徒会副会長にしかなれないことに疑問を持っていたと述懐。そんな折、街角で衆院選挙女性候補ポスターを目の当たりにして、「女性でも政治の世界で活躍できるんだ」と政治に関心を持った端緒を説きました。
 大学卒後、朝日新聞社に入社、経済部、政治部記者を歴任するなかで、新党やマドンナブームという政治の様々な側面を垣間見たとも。こうした経緯を経て、政治への関心がより強くなったが、サラリーマン家庭で育った事情もあり、「やりたいけど踏み切れない」と逡巡していたという。

(左:講義冒頭、あいさつする西村康稔県連会長。中:苦労談を交えて受講者にアドバイスする松島みどり元法務相。右:副学長としてあいさつをする安達和彦県連総務会長)

大手新聞社辞して、自民初の公募第1号に

そして平成7年自民党が初めて公募による候補者選考を試みた際に、勇躍、決意した。全国から60人の応募者のうち3人の合格者の1人に。朝日新聞社を退社、時に37歳、「退路を断っての決断だった」と振り返りました。
 平成8年に行われた衆議院選挙。初の公募、女性候補として戦いの場は東京14区、墨田区、荒川区で、下町情緒の色濃い選挙区。それだけにハンデに苦労はしたものの、人情豊かな土地柄によく馴染み、都議、区議をはじめ町内会長といった地域のリーダーと人間関係をつくった。しかし、現職の壁は厚く小差敗戦、惜敗率96%全国の2位の頑張りも比例復活はならなかった。

初戦は微差の敗退 「学ぶことは多かった」

しかし、「敗れたことで、学ぶことは多かった」と回顧しまました。メディアで落下傘と称され、気にしていたが、「みどりさんは墨田の人間だよ」との言葉に勇気づけられたとか。また、公選法上の細かな規定を熟知、人間関係を保つうえでの目配り心配りを身に着けたとも。
 そのうえで、選挙区内の100回の盆踊りに参加、多い日は1日に18カ所を掛け持ち。人が関心を持つことを名刺などで一つでもアピールする、街中をポスターで埋め尽くす等々、徹底した活動を展開したと、活動の要諦を説き語りました。
 平成12年、初議席を射止め、以後、7勝2敗。平成26年には法務大臣として初入閣を果たし、現在、衆議院消費者問題特別委員長の職にあり、自民党を支える中心的な存在感を示しています。

(左:講演に耳を傾ける受講生。右:終了後の質疑では、実践に添った活動方法などについても質問が出されました)

「世の中の役に立ちたい信念を持ち続けて」

 終了後、質疑に応えて、「世の中の役に立ちたい言う信念を持ち続けることが大事」「選挙向きのキャラクター、個性が必要」「この人やるな、この人ならやってくれるかもと思われることが大事」と活動に当たっての留意点を助言しました。また、「できることは何でもやる」「細かなことでくよくよしない」と徹底したチャレンジ精神が不可欠だとアドバイスしました。

 


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